・それぞれが、それぞれに


最近わからないことが多すぎる。
進藤尚人は腕を組んだ。
考えても、答えは出てこない。
闇の中あるだろう答えは、一筋の光にもならずに沈黙したままだ。

「うーむ……」
「どうかしましたか」

隣から、抑揚のない声が掛かる。誰と確認するまでも無い。
進藤の隣にいるのは、参謀見習いの渡来夕紀大尉だ。
この間まであった蟠りも、解消することが出来た。
今はつい先ほどまで、今後の戦況について話をしていたところだ。

「先ほどの話で、気になることでもありますか」
「いや、そうじゃなくてだな」

進藤がかぶりを振ると、夕紀はそうですかと言って再び視線を前に戻した。
ふと夕紀に目をやる。
まっすぐ海を見る表情はまるで怒ってるようにも見える。
それでも、彼女の眉毛はいつもよりわずかに下がっていた。
これは気分を楽にしてる時に見せるものだ。

「なあ」
「お兄様ーっ」

進藤が夕紀に声を掛けたのと同時に、背後から聞き覚えのある声が飛んできた。
ギクリとしながらも振り返ったとたんに、その声の主が胸に飛び込む。

「お兄様、今日もあたしと一緒に甲板を歩きませんか? 気分転換しないと、お仕事ばかりでは体が参ってしまいますよ」

進藤のわからないこと。その一つがこれだ。
彼の胸に飛び込んできた人こそ、斎藤あかね二等水兵である。
ぴったり貼り付いて離れないし、人目の少ないところではこうして平気で抱きついて来る。
最近はますます顕著になった気がしてならない。
今日だって、進藤の隣には夕紀がいる。
でも、そんなのはお構い無しに飛び込んできた。
そして、もう一つのわからないことと言うのが……

「な、なぁ渡来。貴様からも何とか言ってやってく」

そこまで言いかけて、進藤は言葉を失った。そして凍りついた。
こちらを見る夕紀の視線。
一見普段と変わり無いように見えるが、先ほどまで下がっていた眉毛はつり上がり、その瞳は怒りに満ちてる。
ついこの間も、こんな事があったばかりだ。
何故再びこうなったのか、進藤は全く解らなかった。
そんな進藤を他所に、夕紀は改めて怒りのこもった視線を浴びせる。

「では、私はこの辺で失礼させていただきます」
「お、おい渡来。はな」
「失礼します」

ピシャリと言い放つと、敬礼をして歩いていってしまった。
助けを求めようとした進藤の右腕が何もない空を泳ぐ。

「あ……」
「行きましょう、お兄様」

早く行こうとばかりに、あかねが腕を引っ張った。
その表情が、普段の微笑とは少しだけ違っていたのを、進藤は見ているはずも無かった。



「………………」

自分でも信じられないくらいの速さで、通路を歩いていた。
すれ違う第一の兵士が、何事かとこちらを見てる。
しばらく歩いて、歩調が元に戻ってきた。

「………………」

頭に浮かんでくるのはさっきの光景ばかり。
なんだ、斎藤二水の態度は。
初めて会った時もそうだったが、人前であんな事をするなんて。
少佐とは幼馴染だって事はわかってる。
そして、彼のことをとても慕ってることもわかってる。
この間菊名から聞いた腕輪の話。
もらった本人は気づいてないが、あれを渡すくらいだから彼女の想いは相当なはずだ。
それでも、さっきのはない。
突然少佐に飛びついて、更に私にも目を向けた。
まるで勝ち誇ったような視線。
思わず声が漏れそうになった。必死に押しとどめて、表情にも出ないように抑え付けた。
最近何かと話を折るように入り込んでくる。まるでそれを狙ってるかのようにだ。
その度に自分は言い様のない怒りに動かされて、少佐から離れる。
……そうだ。少佐も少佐だ。
何故はっきりと断らないのだろう。
困ってはいるが、結局最後は二水と行動を共にしてる。
それとも少佐は本当は困っていない?
あれが偽りだったら……

「………………」

無言のまま通路を歩いてると、横から声を掛けられた。

「渡来大尉」
「………………」
「夕〜紀ちゃん」
「……あ、津守一水」
「どうかしたんですか?」

首をかしげながら津守菊名一等水兵は訊ねた。

「いや、特に何も」
「あっ。さてはまた進藤少佐と斎藤二水の事でしょう?」

核心を突かれて、夕紀の心臓が飛び跳ねる。
どうやら、菊名にはこの前の事もあってかお見通しだったようだ。

「この所、斎藤二水は前にも増して少佐に話しかけている」
「確かにそうだね。お世話するのも少佐ばっかりだし」
「別に嫌いなわけではない。それに話しかけるのも悪いと言う事ではないんだ。ただ」
「ただ?」
「その、ただ、な。あまりべったりくっ付くのもどうかと……いくら腕輪を渡したからといってだな……艦の士気にも影響が出ないとも限らない」

無言のまま頷く菊名。
さらに夕紀が話を続けた。

「それに少佐も、嫌なら嫌とはっきり言えばいいんだ。それなのに一緒にいるのでは、あれではまるで……」

と言った所で夕紀は言葉を止めた。
珍しく眉毛が大きめに上がっている。
まるで何かに驚いてるかのようだ。
自分でもそれが解ったのか、やや頬を赤く染めた。

「やっぱり、私は駄目だな。あの人の事となると、心が落ち着かなくなってしまう」
「そんな事無いよ。夕紀ちゃんは全然駄目なんかじゃない。むしろそれでいいんだよ」
「しかし……」
「前にも言ったけど、自分の気持ちに素直になってみようよ。すぐには出来ないかもしれないけれど、夕紀ちゃんならきっと出来る。 進藤少佐を呑みに誘えたんだから、ね?」
「菊名。な、なぜそれを?」
「少佐から聞いたんだ。呑みに誘われたって。夕紀ちゃんの方から誘うなんてって驚いてたけど、喜んでたみたいだよ。だって、少佐の楽しそうな顔初めてみたもの」

菊名の言葉に、夕紀の頬がますます赤くなった。
あの時のことを思い出したのか、耳まで赤くなっている。

「………………」
「頑張ってね。夕紀ちゃん」
「あ、あぁ」
「あ、そうだ」

突然、何かを思い出したかのように、菊名が手を叩いた。

「夕紀ちゃん、今夜時間あいてる?」
「ああ、大丈夫だが」
「お部屋にお邪魔してもいいかな」
「用でもあるのか?」

あるなら今ここで、と続けようとしたところで、菊名がそれを遮るようにして言った。

「それじゃあ。夜に行くね。では、失礼します」

にっこり笑って敬礼をすると、菊名は駆けていく。
ただ一人、何がなんだか分からないという顔をした夕紀だけが、その場に立ち尽くしていた。



それから数日後……
今後の展開についての話し合いを終え、作戦室を後にした進藤は、通路を曲がったところで声を掛けられた。
声を掛けた相手は夕紀である。

「あの、少佐」
「なんだ?」
「あの、その……」

夕紀にしては珍しく、歯切りが悪い。
俯いていて、視線も合わせようとしなかった。
そういえば、今日の話し合いの時もどこか落ち着かない様子だった。
それと何か関係があるのだろうか?

「さっきの事で何かあるのか?」
「いえ、そうではなく、あの」
「どうした渡来。言いたい事があったらはっきり言ってみろ」

ここまで言った所で、進藤は何か引っかかるものを感じた。
何か、こんなこと前にもあったような……
そう思ったときに、小声で夕紀が話し始めた。

「少佐、あの、これ……」

おずおずといった感じで差し出されたのは、赤い糸で綺麗に束ねられたわっかだった。
この間、夜にやってきた菊名の目的は、この腕輪を作ることだったのだ。
裁縫が苦手な夕紀のために、手取り足取り教えるために。
もちろん、彼女は一切手を貸していない。作ったのは全部夕紀だ。

「私も、作ってみたんです……その、お守り、です」

よく見れば、それは自分が腕に巻いてるのと同じもの。
思わず右腕を見てしまった。

「これを、俺に?」

俯いたまま、コクンと頷く。
頷いた後で、そっと顔を上げた。

「あの、迷惑でしたか?」
「い、いや。そんな事は無いぞ」
「受け取って、もらえますか?」
「あ、ああ」

右腕にはすでにあかねから貰った腕輪がついてるので、反対側の腕に付けた。
それにしても、二人からお守りを貰うとは……
何か意味があるんだろうか?
(でも……)
進藤はあかねの時とは違う気持ちだった。
あの時は、どうしてもと言うからつけたものの、今回は嫌という気が起こらなかったのである。

「渡来」
「は、はい」
「ありがとうな。これなら絶対に生き残れそうだ」
「はい」

静かにそう答えた夕紀の顔は、いつにも増して真っ赤になっていた。
しかし、俯いてるので進藤にはわからない。
それでも、心の中に何か暖かいものが流れ込んでくるような、そんな感じがした。



…後日、周りから感じる妙な視線と、あかねの納得がいかないような表情を向けられた進藤少佐がいたとかいなかったとか…






小説『スカーレット・ストーム』より

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