・変わりはじめる時(とき)


―― 俺は今でも覚えている。あの時のことを ――

普段はたくさんの人で賑わってるだろう場所も、休みの日ともなれば実に静かなもの。
今日に限っては、外から聞こえてくるはずの声も無い。
あんまりにも静か過ぎて、キーンって耳鳴りがするくらいだ。
だけどもう少ししたら、いつにも増して賑やかになることだろう。
いや、そうなることを願いたい。
今は嵐の前の静けさだと……そう思いたい。
と言うのも、俺自身が嵐になりそうだからか。
あいつが今までのあいつでなくなって、俺たちのもとから離れていって。
それでも遅すぎたのかもな。
もし俺たちと出会ってなかったら、もっと早くからこうなっているはずだっただろうなんて、な。
全部過ぎ去った過去の話だし、俺たちと一緒だったからこそ今こうして会うことが出来るんだ。
そのことを俺は本当にうれしく思う。もちろん今日のことも含めて。
実際問題、スケジュール的にはかなり厳しいものだったし、何より許可を取ることがまず大変だったんだからな。
今こうして準備万端なった時を迎えると、我ながら凄いと思ったもんだ。
不可能を可能にすることほど、楽しく心踊るものはない!

……思えば、遠くへ来たもんだ。
この場所で、毎日毎日バカをやっていたのがつい昨日のように思い出せる。
高校時代なんて、あっという間だよな。
気がつけば大学すらも卒業しちまって、今じゃ立派な社会人。
日々責任と重圧に押しつぶされそうなサラリーマン……じゃないか、俺の場合は。
なんて言うかこう……な?
んま! 俺のコトはどうでもいいんだ。うんうん。それよりも問題はヤツだな。
さっきも言ったかもしれないけど、あいつと俺たちとじゃもう住む世界が違ってる。
カタや一般の枠からはみ出る事のないフツーの人間。そしてカタや世界を股にかける……。
別に疎遠になったとか嫌いになったとかそんなんじゃない。
メールや電話もしてるし、時間が合えばさやかと揃って会うコトだってある。
ただ、それでもヤツと俺たちとは住む世界と言うか、舞台が違うんだなこれが。
テレビを見るたびにいつもそう思う。
もっとも、特別扱いするのを嫌がってるし、何より俺たちだってしたくないから結局はそのままなんだけどな!
そんなヤツが今日ここに戻ってくる。一人じゃなくて、しっかりとパートナーを連れて。
ホントまさかまさかだよ。結局自分の欲しいもの全部手に入れてるんだから。
やっとと言うか何と言うか。
……でもな、あいつには手に入れる権利があるんだよ。いや、手に入れなきゃいけないんだ。
それまでの辛く長い時間を考えれば尚更。
だから、今日という日は偶然じゃなくて必然なんだと、そう強調しておきたい。
偶然を必然に変える第一歩。
あれはまさしく、あの日からだろう――――



「………………」

目覚ましが動き出すよりもかなり早い時間。
ようやく空が明るくなり始めた頃。
はじめはゆっくりと身体を起こした。
ゆっくりカーテンを両側に開いて、外の光を部屋へ入れる。
……今日も、晴れだ。
そのまま景色を見続けることなく、彼は動き出す。
着ていた寝巻きを脱いで、ハンガーに掛けておいた服を手に取ると、思わず動作が止まった。

「………………」

それは一瞬だけの迷いか、それとも後悔か。
でもすぐにかぶりを振ると、今度こそ迷いなく着込むのであった。
その隣には同じくハンガーに掛かった制服が。
しっかりとアイロンが掛かっていて、まさに新学期・新学年を迎えるにはちょうど良い状態に仕上がってる。

「いよいよ、かな……」

小さく頷くと、他の準備もそこそこに家を出た。
まだ学校に行く時間じゃない。
そもそも学校に行くような格好でもない。
今の格好はまるで……
そして彼は、朝靄の残る外へと飛び出した。


所変わって、時間もちょっとだけ流れて……

「今日からいよいよ三年ね」
「だな。あー、受験めんどくせぇ」
「あんたそもそも勉強するの?」
「いいや全然。っていうか気分の問題だろ? 気分の」
「まったく、微妙にひけらかしてるでしょう」
「へへーん」

さやかと尚哉がいつもどおりの会話をしている。
新学期だからといって何かが変わるわけでもない。
変わるといえばそう、学年くらいだ。
さっきもさやかが言ったように、今日から三人は三年生。
いよいよ久しぶりの受験というものに身を投じなければならない。
さやかは少なからず考えているようだが……尚哉ははたして。
その隣で、はじめは会話に参加せずただ聞き入っていた。

「ね、はじめ。はじめってば」
「え、ああ。なに?」
「今日は珍しく静かね。どうかしたの?」
「春休み終わって落ち込んでるんじゃねぇの〜」

横から尚哉が茶々を入れる。

「それはあんただけでしょ……もう」
「ごめん、ちょっとボーっとしてた。尚哉の言うとおり、春休み終わったのが痛いのかも」
「はじめまで……。あたしが言ってたのは、進路どうするのって話。はじめも進学するの?」
「……そりゃあ。まぁ」

どこか断定を避けたような返事。
しかし特に気に留めなかったのか、そのままさやかが会話を続けた。

「どうせなら三人一緒に同じ大学受けてみる? もちろん落ちたらゴメンナサイだけど」
「お、それいいかもな。腐れ縁もここに極まれり! みたいで面白そうだ。な、横一」
「ああ、うん。そうだな……」

肯定のような、そうじゃないような。
今のところはじめはハッキリとした答えを言っていない。
いやむしろ、二人と合流してから挨拶以外にマトモな会話をしていない。
さっきからはじめは、口を閉じたまま何かを考えるように視線を俯き気味にしたまま。
だけどそれを眠気とか春休みが終わったからだと受け取っているのか。
さやかも尚哉も問いかけては来ない。
全てはいつもどおりの状態……そのはずだった。

結果的に、この時さやかの思いついた案が実を結ぶことはついになかった。
翌年、三人は……いや、はじめだけが二人から離れてしまうことになる。
それは一体どうしてか。何が原因でそうなるのか。
答えが出るまでには、もう少し時間を進めなければならなかった。
今はまだ、何も知らない平和なひと時があるのみ。
いつもと変わらないと思っていた日常が、まだここにあった頃のことだった。




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