僕と彼女と
〜だいじゅうななわ〜



止まった時間。シンと静まり返った空間。
そして……ミリィさんの、呆然とするような表情。


事態は最悪も最悪。
俺の目線の先にはミリィさんがいる。
ドアに手をかけたまま、今ここで何が起こっていたのか理解できてない様子。
でも一つだけ言えるのは、その目は一瞬にして悲しみに溢れたって事。

「なに、してるの…二人とも……?」

発せられたのは聞いた事ないくらいに低い声。
それがやけに大きく図書室に響き渡った。
キスをした桜城先輩は、俺の目の前で下を向いてるので表情が見えない。
図書室に、なんとも重い空気が流れた。

「あ、あはは……」

しばらくの後、ミリィさんは笑った。
嬉しさから出なく、悲しさから。そんなのは誰が見たって分かる。

「そんな……嫌だなぁ二人とも! そんな関係だったのなら……先に言ってよー。もうっこんなところ見ちゃったらあたし、恥ずかしくて顔が赤くなっちゃうもの!」
「み、ミリィさん……ちがっ……これは!」
「じゃ、邪魔者はサクッと消えるとしますかぁ! それじゃ……バイバイッ!」

脱兎の如く駆けていくミリィさん。
去り際に一瞬見えたその目には、何か光るものがあった。
足音は急速に遠ざかりつつある。
早く追いかけなきゃ!

「ミリィさん!」
「待って!!」

一歩踏み出したところで押さえつけられる。
桜城先輩に後ろから抱きしめられたからだ。
自分の背中越しに顔を押し付けてるのが分かる。
俺を引き止めるかのように巻きついている手は……小さく震えていた。

「行かないで……橘君」
「桜城先輩…!」
「おねがい……ミリィじゃなくて、私のそばにいて……」

つまり、そういう事だった。
桜城先輩が言った好きな人とは……。

「いかないで……橘君……。おねがい」

ギュッと強く握られる制服。
同時に抱きしめる腕にも力が加わった。
それはまるで離さない、とでも言うかのように。
ドクンドクン、と速いペースで彼女の鼓動が聞こえてくる。
………………
その間は数秒だったのか、それとも数分だったのか。
少なくとも俺には長い時間だったように思えた。
沈黙を破るようにして、桜城先輩に話しかけた。

「……ごめんなさい」
「え…?」
「俺は……俺には、桜城先輩の気持ちにこたえることは出来ないんです」
「橘君……」
「桜城先輩の気持ちは嬉しいです。まさか俺とは思いませんでしたが……でも、ごめんなさい」
「どうしても?」
「……すいません」
「………………」

そっか…。と呟く声が聞こえて、抱きしめられていた手が緩められた。

「やっぱり、ミリィ?」
「……はい」
「そっかぁ…気がつかなかったな。でも、ミリィが相手なら敵うわけないかな……負けちゃった」
「先輩、俺……」
「何も言わないで。その先は、言っちゃダメだよ」
「………………」
「でも、もう少し早く想いを伝えてたら……ううん。なんでもない。さっ橘君はミリィを追いかけないと!」

ふっと手が離れて、先輩が一歩後ろに下がった。
一歩、そして一歩と前へ歩いていく。
振り返ることなく。先輩に声をかけることなく。
歩調はだんだん早くなり、図書室を出るときには走り出していた。
ミリィさんを……ミリィさんを早く見つけないと。そして、誤解を解かないと!
去り際に、なにか桜城先輩の声が聞こえたような気がした。

『ばいばい……。行ってらっしゃい、橘君』

「はぁっ……はぁっ……」

人気のない廊下をひたすら走りぬける。
電気もついてないから暗くて視界が悪い。
ミリィさんは……一体、何処にいるんだ。
図書準備室の脇を抜けて、特別棟から一般棟へ入り、ミリィさんの学年の廊下を通過しても誰もいない。
そのまま廊下を突っ切って、階段を駆け下りて俺の学年の階へ行こうとした時だった。

『こら! 廊下を走るな!!』

階段の上から誰かの怒鳴り声が聞こえた。
踏み出そうとした右足を引き止めて、グッと力を入れて方向転換。
手すりに手をかけて強引に身体の向きを変えると降りようとした勢いそのままに階段を駆け上がった。
一つ上の階に誰かの影がある。あれは……生活指導の先生だ。
その人は階段の更に上を見てる。という事はひょっとして……上か!?
注意されようとも気にせずに、先生の脇を高速で通過する。

「こらぁ! 校内で鬼ごっこでもやってるつもりかお前たち!!」

鬼ごっこ……ある意味ではそうかもしれないと頭によぎった。
俺が鬼で、それから逃げるようにしてミリィさんがいる。
うんまぁ、本当にそんな感じだ。
ガタン、と扉のしまる音がする。
この先にあるのは三年生の階と屋上だけ。
そしてこの音がするのは屋上の扉……
息が上がってきて上るのが少しだけつらい。
そりゃあ図書室出たときから走りっぱなしだから無理もないか。
これでも日々ミリィさんを後ろに乗せて鍛えてたつもりだけど……。
あーもうあと少しだ! 気張れっ俺!

ドアの隙間から薄く光が漏れてる。
完全に閉まってないみたいだ。
ドアノブを捻るのももどかしく、上りきった勢いのまま扉を開け放つ。
視界が……一気に開けた。

「ミリィさん!」

はたしてそこに、ミリィさんはいた。
屋上の端、フェンスに手をかけるようにして。
扉の音でもう俺が来てる事は知ってるはず。
でも、こっちを向こうとはしなかった。
背中越しにミリィさんの表情をうかがうことは出来ない。
でもきっと……嬉しそうな顔をしてるとは絶対に思えない。むしろその逆であろう。
呼吸を落ち着けるかながら、ゆっくりと近づいていく。
もう少しで肩に手が届こうかと言うときに、まるで判ってるかのようにミリィさんが呟いた。

「止まって」
「え?」
「いいからそこで……止まって」
「ミリィさん、俺……」
「知らなかったよ。まさか美里とせーちゃんがあんなだったなんて。あたしって、遊びだったんだ」
「ち、ちが…ッ!!」
「最近なんか変だったんだよね。妙に美里と仲がよかったし、そしてあたしと一緒に帰るのも少なくなったし。やっぱり、こういう事だったってワケか……」
「だからミリィさん……それは違いますって! あれは……」
「じゃあどう説明するの?! あの現場を見て、はいそうですかなんて納得できるわけないじゃん!」

振り向きざまに見せたミリィさんの顔は、泣いていた。
両目から涙を溢れさせて、悲しみに満ち溢れた表情をしてる。

「あたし……せーちゃんのこと信じてた。せーちゃんなら絶対に浮気なんかしないって、あたしの事を見ててくれるって。なのに……なのに!」
「ミリィさん、とにかく、俺の話を聞いてください。あれは違うんです」
「嫌! イヤだよ……言い訳とか弁明なんて、そんなの聞きたくない!」
「ミリィさん…!」
「あたしもう判らない! 何が本当で、何がうそなのか……もう、わからないよ……!」

ふわっ……

その時、身体が自然に動いた。

「えっ……?」

きっと、ミリィさんは驚いてるだろう。
まさか今この状況で、俺が抱きしめるだなんて思っても見なかっただろうから。
俺自身も一瞬だけ驚いた。身体が勝手に反応したから。
でもすぐに納得する。ミリィさんに話を聞いてもらうには、この方法しかないって。
ゆっくりと、諭すように俺は口を開いた。

「え、と……せー…ちゃん…?」
「ごめんなさい。今までいろいろと……ごめんなさい。ミリィさんをこんなにも悲しませてしまうなんて、俺……彼氏失格ですね」
「せーちゃん……」
「本当ならあの時に本当のことを言っておけばこんな事にはならなかったのかもしれません。そんな事があったのかぁって感じで流れていって、お互いにギクシャクしないで今でもうまくやってたかも」
「あの…時?」
「前に……俺が遅れて帰ってきたときありますよね。電車で寝ちゃってって言う時。あの時本当は、桜城先輩のところにいたんです。先輩怪我してて、帰るのが大変そうだったから荷物を持っていったんですよ。そしたらお茶でも飲んでってことになって……」
「あ……」
「今でも不思議に思うんです。別にやましい事じゃないのに、どうして嘘をついたんだろうって。思えば、あの時の嘘が積もり積もってこうなっちゃったんですから……」
「でも、美里とせーちゃんは……」
「……これを自分で言うのもかなり恥ずかしいんですが、桜城先輩……どうやら俺の事が、好きみたいで……それを知らずに話の相談に乗ったら、急にあんな事に…って具合です。さっきのは」
「じゃあ二人は……?」
「違いますよ。俺と桜城先輩は付き合ってません」

やっと、本当のことが言えた。
やっと、ミリィさんに声を届ける事が出来た。
ギュッと強く抱きしめながら……。

「………………」
「良かった……」
「え?」
「良かった……あたし、せーちゃんに嫌われたわけじゃなかった。せーちゃんに、愛想尽かされたわけじゃなかったんだ……だから……よかった……」

涙をすする声がする。
同時に、ミリィさんの方からもキュッと抱きしめ返してくれた。

「もう、終わりなんじゃないかと思ってた……」
「そんな……そんな事、ないですよ」
「浮気は犯罪なんだよせーちゃん」
「だ、だから今回の事は……その…」
「うん、もう何も言わないよ…。だから今回の事はもうおしまいっ。無事に仲直りできました」
「は、はい……」
「あとで……美里にはしっかりと言っておかないとね。せーちゃんはあたしの彼氏です!って」
「怒らないでくださいね。二人が喧嘩してるところなんて、見たくないです」
「うん、ビンタ一発で終わりにしておくよ」
「み、ミリィさん……」

だんだん、元のミリィさんに戻ってきてる。
どうやら今回の一件は無事に終わりを遂げたみたいだ。

「でもね、せーちゃん……」

すると、ミリィさんが俺の耳元に口を寄せた。

「前にも言ったけど……もし他の人に乗り移ろうなんてことしたら……」


『命、本気で奪っちゃうからね?』


そう言って、チュッと俺の頬に口付ける。
最後は、やっぱりいつものミリィさんだった。






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