Before_01...... 晴空を舞う風
今日もあの人同じくらい暑い一日だった。直上から容赦なく降り注ぐ日光はあらゆるものを熱して、ゆらゆらと視界を揺らす。
『暑いですか?』
そんな風に聞かれたらこう答えるしかない。
『ああ、そりゃあもう暑い』
髪の毛がまるで熱したホットプレートみたいに熱を吸ってるくらいだから。
つーと首筋を汗が伝う。唯一自由に動かせる右手で持ってソレを拭った。
自由に動かせない左手に力がこもる。それは俺が力を込めたんじゃない。それに動かせないのは他の手で固定されてるから。
俺の左手には俺でないもう一人の手がしっかりと握られてる。日焼けして黒っぽくなったこの腕とは段違いの白くて柔らかい手。じっとり汗ばんでたって離したくないと思えるんだ。
頭半分くらい背が小さいから、大きめの帽子で覆われた表情は見えない。でも、しっかりとすぐ傍を着いてきてる。
俺らが向かってるのはとある場所。生涯忘れられない思い出の地となった場所であり、こうして今を迎えられる場所でもある。言うならばそこは神聖な場所。聖域。
あの日から毎年同じ日に必ず訪れることにしている。それが今日という暑い夏の日。
さっき汗を拭ったばかりなのに、もう次の汗が耳元から首へ流れていった。まったく、まるで調整したかのように決まってこの日はいつも暑い。そして綺麗なまでに晴れ渡っている。
……そんなに、喜んでもらえてるんだろうか……
セミの鳴き声がいっそう強くなってきた。大き目の木々も増えていって、目的地はすぐそこにある。
古めかしい門をくぐってあの場所へ。人気はない。元々用がある時以外は誰も訪れないんだから。
手を繋いでから今までまったく会話がない。これも毎年のことであり、別に仲が悪いとか喧嘩してるとかそんなんじゃない。無意識のうちにお互い黙ってしまうんだ。
久しぶりに発せられた言葉は、これまた感情のこもったものではなく、ただ単に役割を決めようというもの。
「じゃあ、俺が水を汲むから」
「……うん」
すぐ傍の水汲み場でバケツ一杯に水を入れる。柄杓を一つ借りてバケツに沈めると、今度は手を繋がずに中へ中へと歩いてく。
何処からか漂う匂いが鼻をくすぐる。他にも用があってきてる人がいたらしい。まぁ、時期が時期だし当然か。
俺たちもそういう用があってきたけど、それだけじゃないもんな。何せ今日は大切な日だ。
形の整った大小の石が整って並んでる間を一直線に歩いてく。場所はひとつしかないし、間違えることもない。
俺たちにとってのあの場所は、何時如何なる時でも忘れる事はないんだから。
やがてその場所にたどり着く。いつまでも静かにたたずむそこは、あの瞬間から時を刻むのを止めているかのように、まったく変わっていなかった。
バケツを地面に下ろすとゴトンと音がして水面がゆらゆらと揺れる。そこに反射した日光がキラキラと輝いていた。
たっぷり入った水を柄杓ですくって、石の頭からそっと掛ける。
恵みの水となったそれは、無機質な硬い石面に潤いを与えるが、すぐに蒸発してなくなった。
間をおかずに、何度か水を掛けていく。心の中で一言ずつ言葉を掛けていきながら…。
俺の隣で、持っていた線香に火を灯すしぐさが見える。さっき鼻をくすぐったにおいがまたしてきた。手で火を消すと、白い煙だけが天まで届けとばかりにゆっくりと立ち昇る。見てるとなんとも心を打たれる光景だ。
そっと置くところに載せて、いよいよ時がやってくる。
軽く触れ合うくらいに並んで立って、顔の前で両手を合わせて頭を下げた。
「……久しぶり、だな」
返事は返ってこない。そして俺自身も返事は返ってくるとは思ってない。
でも、それでも声を掛けていく。儀式といったらアレかもしれないけれど、俺にとって大切なことだから。
「もうまた一年も経っちまった。本当にあっという間だよ。……あれから、どれだけの月日が流れていったか」
目を閉じればあっという間に戻ることが出来る。あの時の、あの瞬間へ。
全ては一つの出会いから始まった。部活仲間の、負けたくないライバルとして。腹を割って話し合える友として、またあの時俺が想いを寄せていた相手として――――
……………
…………
………
……
…
時、中学一年の春。
背中にあるのは黒いランドセルじゃなくて、リュックを横に広げたようなちょっと大きなカバン。
着慣れぬ制服に袖を通して、ちょっぴり長くなった通学路を恨めしく思うのは俺、穂刈真。
今年から中学生になっていろいろと変わることもあって、それこそ目まぐるしい毎日を送っていた。
そんな中、部活動って言うのは唯一の開放の場。戒めから解き放たれて好きなだけ没頭してられるんだから最高だ!
俺が入ったのは小学校時代と同じ水泳部。こう見えても泳ぐのにはちょっとだけ自信がある。小学校最後の大会で地区新記録を作ったくらい。
元々泳ぐのは好きだったし、さっきも言ったように解き放たれるんだからそりゃあ泳ぎたくもなる。
何でこんな事を思うかといえば、ウチの家庭環境にあって……。別に、親が不良とか兄弟に非行に走った人がいるとかそんなんじゃない。
……あー、後のは少し近いかも。
親はともかく、俺の兄ちゃんと姉ちゃんはとにかく凄い。良い意味でも悪い意味でも、あらゆる意味で褒めちぎりたい位だし兄姉って言う贔屓眼鏡を外してもそう思えるくらい、凄い。
二つ上の兄は、成績優秀・悪知恵最高・態度最悪と言う三拍子がそろってるし……。
一つ上の双子の姉は、態度こそ兄とは違うけど、元気の塊である意味で兄よりもタチが悪い。実は影の支配者なんじゃないかと思えるくらい。
そんな中で俺は、兄みたいに頭も良いわけじゃなく、姉みたいに元気のかたまりと言うわけでもなく……。
よく言えば平穏。悪く言えば影の薄い末っ子としての立場にある。正直それで十分幸せだ。不満はない。
……ええと、何の話をしてたんだっけ。
そう、水泳部だよ水泳部。入部したのが春だったからもちろん最初は泳げない。だから陸上部みたいなことをして練習をしてたわけ。
トラックを大回りに走ったり、短距離をダッシュしたり、時にはストレッチ・柔軟と。これはこれで充実してたかな。
4・5・6月はひたすらそれだけやってきて、ついに迎えた7月。なぜか知らんけど水泳部が藻だらけのプールを掃除して、ついに解禁と相成った!
これから本格的に水泳部としての活動が始まる……。自分がどこまで昇れるか、また自分がどこまで力を付けられるか。たった二ヶ月と言う限られた時間の中で、日ごろの練習の成果を出さないといけないんだ。
先輩たちに混ざって、まずは腕試しにと始まった個人泳。泳法別にタイムを計るだけの簡単なものだ。俺がやってきたのは自由形だからそれ一本。みんな早いかと思ったら……あれ?
入部した一年で自由形をやってるのは俺を含めて三人。それで先輩の方が早いのは仕方がないとしよう。でも、先輩より早く泳ぎきってしまったのは……俺。
自分がもう一人くらい入りそうな距離を開けての一位だった。サイドで見てるほかの人からもおぉっと声が出る。肝心のタイムはとカウンターを見たら、去年の自分より遅い。んん、やっぱり一年も泳いでないんじゃなぁ。
後からゴールした先輩からも声がかかる。
『穂刈、おまえすごいな』
『これなら大会でも期待できそうだ』
どうも、と苦笑いしながら頭を下げる。別に俺が一人早く泳げたからとか、先輩が遅いからとかそんなんじゃない。ただ……どう返事してイイのかわからなかったから。
でも、とりあえずは認めてもらえたっぽい。結局自由形では俺が出したタイムが最高であり、誰にも抜かれなかった。男子が終わって次は女子の番。プールサイドに引き上げて、掛けておいたタオルで頭を拭きながら、一緒に泳いだ先輩や一年の人と“明日からも頑張っていこう”と話してる時だった。
『おぉっ』
って声が上がったのは。
顔を向けると、もう一人目が泳ぎ終わってる。タイムは……えぇっ?!
見れば、ほんのわずかの差だけど俺が負けてる。つ、ついに抜かれたと……まぁそれは仕方がないとしよう。でも……でも、そのタイムを出したっていうのが……
「いぇーい!」
プールから俺に向かってブイサインを出してくる。その顔は満面の笑みだ。
青く晴れ渡った空の下で出会った、同じ水泳部の女の子。しかも俺よりちょっと速い。……負けてられないな。そう誓った一年の夏のこと。
これが全ての始まりであり、また―――彼女、新崎琴葉との出会いでもあった。
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