23...... 発覚・決心
その日の彼女はツイていなかった。
周りが見ても、自分で見てもハッキリと自覚できるくらいに。
でも、だからこそ彼女は気づくことになる。
それは……結果から見て、長いような短いような、とにかく大きく展開が動いた最初の日であった――――。
「げぇっ!」
台所からとても女の子が出したとは思えない妙な声が聞こえてくる。
いち早く気がついたのは朝練のため早くに起きていた末っ子の真だった。
眉をしかめつつ、何事かと覗いてみたところ……。
「姉ちゃん、どしたん?」
「いやー、失敗失敗」
右手で頭をかきながら苦笑いを浮かべるのは茜だ。
反対の手でカチンとコンロの火を止めている。
「卵を割ろうとしたら、ちょっと力入れすぎたッぽい。ほれ殻までこの通り」
「うわ、完全にクラッシュしてる。姉ちゃんがそんなミスするなんて珍しいな」
「ごめん、ちょっと作り直すから待ってて」
「了解。でも急がなくてもいいよ。どうせあいつまだ来ないし」
「ん。にしてもあいつなんて……アンタも隅に置けないねぇ」
冷蔵庫から新しい卵を取り出しながらクククと笑う。
…さっきのもそうだが、とても女の子が出すような声じゃない。
それを聞いた真が反論するかと思いきや、頬を少しだけ赤く染めてしまったではないか。
あー、これはこれは。
「い、いいだろ。俺のことはどうだって……それより、早く作ってくれ」
「あらら、今さっきと言ってることが逆転してる。さては図星だなぁ〜」
「だっだから姉ちゃん!!」
やっぱり穂刈家、朝でもいつでも元気はいい。
それから尚哉を起こしに行ってた梢と寝ぼけ眼の尚哉が加わってきて、更に玄関から呼び鈴と真を呼ぶ声が聞こえてきて、遅れに遅れてしまった朝ごはんをあわてて用意しながら一日は始まるのであった。
「なんだろ……今日は疲れる日だ」
学校に着くなり、ペタンと机に倒れこむ茜。
その姿は少し前の俊介を連想させる。
逆にすっかり元通りの彼は、やっぱり逆にヘロヘロな茜に声を掛けていた。
うーん、見事に立場逆転。
「どうした茜。らしくないな」
「今日だけは勘弁して……朝からドタバタしすぎて疲れてんの」
「茜ねー。家を出るときになって忘れ物思い出したから走ってきたんだよ」
「ほぉ。だから息切らしてたのか」
言葉に出してみるものの、特に関心はない様子。
どちらかと言うと、茜の姿を見てニヤニヤしてると言ったところか。
いつもなら何か言い返すところでも、今日の茜はすでにヘロヘロ。
恨めしく見つめるだけで何もしてこない。
と、ここで俊介が何かを思い出したように表情を変えた。
「そう言えば茜」
「……なんだよぉ」
「忘れ物と言えば、宿題やってきたか? 今日出すとかじゃなかったっけ」
「……………あ」
「あって……」
「うわぁ。忘れ物は忘れ物でも優先順位低いの思い出してどうするんだよー。しかも今の今まで存在すらも忘れて……」
それは先日行われた抜き打ちの小テストのこと。
見事に赤点を頂戴した茜は追加課題を受け取ることになったのだ!
で、その締め切りが今日。そして茜が存在を思い出したのも今日・今・この瞬間。
だから当然やってるわけもなく。恐る恐る鞄のなかを漁ってみると、貰ったわら半紙が全て埋まってるなんて奇跡があるはずもなく、ただそのままの姿で発掘されましたとさ。
『今日は呪われてるんじゃ?』
そんな言葉がしっくり来すぎるくらい、その後の茜はトラブルの連続。
ノリと勢いで寝ている生徒へ向けて先生がチョークを飛ばしたらたまたまその前の席にいた茜に直撃したり、バレーボールをやっていた体育の時間では当て違えたボールが茜に直撃したり、トスの時に他の人と直撃したり、やっぱり何かに直撃したり……って、なんか直撃系が多い。
他にも、茜の一人手前で目的の飲み物が売り切れたり、配られたプリントがミスプリントだったりと……不幸一年分が一気にこんにちはしたかのように次々と起こる不運な出来事。
なに、私がなにをしたって言うの? そう言いたくなるのも無理はないくらいに降り懸かっていたのだった。
「あーもぉー……いっそトドメだよ。最後の一撃だよ。楽にしてしてくれた方がどんだけ幸せか」
普段の茜ぱわー、ゼロ。らしくない茜ぱわー、プライスレス。いやいや。
机に突っ伏して力なく倒れこんでるその姿は見ていて本当に痛々しい。
一部本当に痛い所があるから尚更タチが悪い。チョーク直撃の額に貼られた絆創膏が…。
「あかねぇー。だいじょぶ?」
「だいじょぶじゃない…」
「こ、こんな日もあるよ。ね?」
「あってたまるかー……もう誰かかわって。梨乃とかどう?」
「さすがに、それは……し、俊介君は?」
「俺かよ。見てるだけで十分だ」
「くっ……いつもなら追っかけまわすんだけど……」
顔だけ動かして力なく俊介を見上げ睨み付ける。
「まぁ、今日は大人しくしてろよ。何もしなければ何も起こらんだろ」
「あー、ストレスが……」
茜の不運ここに極まれり!
ただ、あまりに連続して起こっていたせいだろうか。お昼を過ぎた辺りからそれらは息を潜めてしまった。
何事もなかったかのように過ぎていく午後の授業。
それでも、動けば何かが起こりそうと警戒心に満たされた彼女は行動を起こさない。
じっと机に座ったまま。防衛法としては最高だと思うけど、ちょっと……ね。
耐えに耐えた最後の二時間は午前中以上に長く感じ、終わる頃には動き回る以上に消耗だ。
でも今日はコレで開放。こんな日は早く帰って休むにかぎる。
後は号令が掛かってホームルームを済ませばめでたく放課後だ。
「あ、そうだ穂刈。穂刈茜」
最後の授業の先生が帰ろうとしたとき、何かを思い出したようで茜に声を掛けた。
今日の茜サンは非常に消耗しているのでいつもの元気はありません。
でもそんなことにはお構いなしに、先生は話を切り出した。
……そう、アレである。
「課題持ってきたか? 締め切り今日だぞ――――――」
静かな教室に、カタカタと言う音が聞こえてくる。
テスト期間中にあるような細かな音ではなく、少し音が鳴っては止み、またしばらくして鳴って……という感じ。
他に聞こえてくる音はない。誰かの声も、何かの物音も。
教室に残っているのは男女が一人ずつ。
一人は茜で、もう一人は……。
「はぁ〜……もうイヤだ。今日なんて大嫌い」
「せっかく朝言ってやったのに、何もしなかった茜が悪い」
「それどころじゃないって。ああ〜人生最悪の日だ。そう思わない?」
「少なくとも俺はなんともないな。ほれ、さっさと終わらせて帰ろうぜ」
「みんな薄情ものだー!」
プリントの上にパタリコと突っ伏す。
脚をバタバタさせながらの姿はまるで子供そのもの。
それでも、茜と一緒に残った彼……俊介は特に構うことなく、前の机に座ったままペンをクルクル回していた。
梨乃は……買い物などがあるため帰った。
あすかは……家の用事で帰った。
梢は……逃げた。
つまり、この場にいるのは茜と俊介だけ。
本当なら梨乃の買い物に俊介も付き合うつもりだったのだが、茜に拿捕されたため今に至る。
ぐずる茜を何とかなだめつつ、それでもさりげなく答えを教えてる辺りはさすが。
今もペンを回しながら、わら半紙の端っこに何かを書き込んでいる。
「んま、こんな日もあるって。あと少しで終わりだから頑張ろうぜ」
「……ん」
そして苦戦(?)すること更にしばらく、遂に教室に終了を示す声が響いた。
「いやー、開放されるっていいものだ。なんかこう、身体が軽くなった感じがするね!」
「お前本当にさっきと同じ茜か? 全っ然感じが違うんだけど」
「肩の荷が下りると誰だってうれしいじゃん? それに不運の連続もどうやら終わったみたいだし! やっといつもの自分に戻った気がする。やっぱりこうでなくっちゃね〜。うんうん!」
本当に違う。これはまさしく“いつもの”茜そのものだ。
ルンルンの茜は、まるでスキップでもするかのように先を歩いていく。
まったく、お調子者なんだから……と俊介は思った。
そのまま先生がいるであろう職員室へ向かって宿題を渡そうと思ったが、なんとあいにく不在。
三年の教室にいるんじゃないかと言うことなので、今度は一階から三階へ上がることに。
これもある意味では不運かも知れないが、浮かれてる茜は気がついてない。
いや、他が凄すぎて何とも思ってないだけか……?
他の先生が言っていたとおり、目当ての先生は三階にいた。
無事に渡し終えると、今度こそ開放!
ようやく茜の元にも遅い放課後は訪れた。
「よぉーし! 帰るかぁ」
「ま、これが茜らしいって言えばらしいな」
「ん〜、なんか言った?」
「んにゃ、なんでも。早いトコ帰ろうぜ」
階段までの廊下を歩いていると、幾つかの教室にはまだ人が残ってる気配がわかる。
中には遊んでいるのだろう騒がしい声も。
「にしても、三年生って結構遅くまで残ってるんだね。遊んでる人もいるみたいだし?」
「受験生だもんな。勉強したり息抜きしたりってところじゃん?」
「私たちも三年になったらああなるんかね……」
「おいおい、ついこの間高校受験終わったばっかじゃん。まだ最初の夏も過ぎてないんだぞ?」
「早すぎたか」
「早すぎだ」
お互いに顔を向けてニッと笑う。
先ほど昇ってきた階段を下へ下へと降りていく。
降りていくごとに足音も軽やかになっていく気がする。
そして、あと少しで昇降口と言うところだった。
今まで影を潜めていた、最後の悪夢が口を開けたのは……
一歩先を進む俊介が、すぐ後ろで何か音がしたことに気づく。
ふと振り向くと、つい寸前までいたはずの場所に姿がない。
「……茜?」
俊介が不審に思うのと、視界の下方に蹲る影を見つけたのはほとんど同時だった……。
長い影が地面に伸びる。
すっかり日も暮れてきて、空は一面オレンジ色。
東の空から、徐々に闇が迫ってくる。
その中をゆっくりと歩いていく影。
人の形にしては少々不恰好……いや、不自然。
やや前傾姿勢のような感じで、それに背中の部分がやけに膨らんでる。
何より、頭が二つと、手が四つもあるではないか……。
「……ごめん」
「まだ言うか。いいから大人しくつかまってろ……どうせ今は歩けないんだからな」
「うん…」
遠慮がちに俊介の背中に乗っかっているのは茜。
俊介の首に巻きついている片手と、地面についていない左足は包帯で包まれていた。
心なしか、少しだけ腫れているようにも見える。
階段でのあの時……茜は足を付けた瞬間に捻ってしまい踏み外したのだ。
その時にまず足を捻挫し、更に倒れかけた身体を左手だけで抑えようとしたために強打。
左手打撲、左足捻挫の怪我を負ってしまったのだった。
更に、倒れたときにお尻を強かに打ち付けたためそこも痛いとも言っている。
最後の最後で、今まで以上の不運…。この言葉以外に見つかりようがなかった。
幸い保健室に先生がいたのですぐに処置をすることが出来た。
しかし怪我はすぐに如何にかなるようなものでなく、歩けそうもない茜をこうして俊介が負ぶっているわけだ。
最初こそハズかしいだなんだとのたまっていた茜も、今ではすっかり大人しくなった。
「はぁ……油断してたなぁ。でもまさかこんなときに来るなんて」
「ダメな時はなにやってもダメなもんさ。それよりもむしろ、この程度で済んで良かったと思うべきだと思うぞ」
「え……なんで?」
「だってよ、もしあの時茜が……更に高い所で足を踏み外してたらどうなってたと思う? 絶対に階段転げ落ちてたぞ。そしたら骨折とか、もっと酷いことになってたかもしれない」
茜にとって幸いだったのは、踏み外した場所が階段の終わりの方だったこと。
だから転げ落ちると言ったことはなかった。
俊介の言うとおり、降り始めた辺りで起こってたとしたら……
「………………」
自分でも気がついてなかったのだろう。
茜は黙ってしまった。
「………………」
「…ま、ふだん茜は元気が良すぎるからな。たまにはこうして……誰かに背負ってもらって帰るのも、悪くないんじゃないか? 俺でよかったら、タダだからいつでも貸してやるぞ」
俊介としては、茜に元気を出してほしくて言ったのかもしれない。
いつもの勢いに戻ってほしくて言ったのかもしれない。
『余計なお世話だ』という返事を期待してたのかもしれない。
それがいつもの関係だったから。
でも……
「……そう、だね」
「んん?」
きゅっ。
ふと、背中にあった重みが増したような気がした。
いや、重みが増したって言うよりも、むしろ……。
「たまには、こういうのも悪くない……かな」
「あ、茜……?」
「ねぇ、俊介……アンタって、さ……」
「お、おぅ…」
背中越しに、茜が額を合わせたのが判る。
首に回った手が、力を込めたのも。
「…………結構、優しいんだね」
でも、そうはならなかった。
俊介には茜が今どうなっているのかわからない。
なぜなら、彼女を背負ってしまっているから。
その後ろで、茜が頬を赤く染めていたことに……俊介は、気づいてない。
だから、反論らしくない反論をするので精一杯だった。
「う、うるさいな……な、なんだこれ。全ッ然調子が出ねぇ〜!」
「アンタこそうるさいよ……もう、ばか」
……初めて感じたこの気持ち……
……他の誰でもなかったこと……
……なんだろうね……
……もっと一緒にいたいとか……
……もっとくっ付いていたいとか……
……最近そう思うことが増えてた……
……この人と一緒にいると、毎日が楽しい……
……楽しい日常が、もっと楽しくなる……
……こんな気持ち、初めてだ……
……ああ、そうか……
――私、この人のこと――
すきに、なっちゃったんだ……
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