15...... あすかの想い(後編)
初めからわかっていた事。
わたしにはもう入り込める隙間がないって。
いっくんの周りには、いつもあの人たちがいて……
わかってた事だけど……
だけど……
「ふぅ……お腹いっぱいだな」
お腹に軽く手を当てながら、下品でも軽くゲップをする。
まぁいいじゃないか。どうせ誰も見てないし。
しかしまさか梨乃がいきなりあそこまで上手くなるとは思わなんだ。
俊介はついさっきまでのことを思い出していた。
放課後、梨乃に引っ張られるようにして家に連れてこられた。
何かと思うまもなく今度は放置され……何がなんだかサッパリわからない。
とりあえず座るかな、なんて思ったときにそれは聞こえた。
ザクッザクッ…と何かを刻む音。それはお世辞にもリズムが良いとはいえない。
でもしっかりと梨乃は集中していた。
あの時、黄金週間が始まる前までは包丁さばきすら危なっかしくて見ていられなかったのに。
たった一週間ほどでここまで上がるとは正直驚きだ。
意味もわからず連れて来られた俊介も、これで理解できた。
ならばここは邪魔せずに静かにしておこう。後で食べながら話せばいい。
心の中で頑張れよと呟きながら、しばし外の景色を見ることにした。
かくして……料理は完成した。
詳細は省くが、前回より明らかに梨乃は上達してる。
まだサラダを除けば一品しか作れないが、玉子焼きすら黒くしたあの時とはもう違うかもしれない。
一口食べて、上目遣いでじっと俊介のことを見つめる彼女にこう言ったものだ。
「んー、40点」
…厳しい。俊介よ、それはちょいと厳しめでは?
しょんぼり気味の梨乃。
でも次の一言でそれは笑顔に変わったのだ。
「あくまで、今の点数な。でも前回と比べるとすごい上手くなってるし、次回への期待を込めてこの点数をば。この分なら90点台もそう遠くないかも。頑張れよ、梨乃」
食後、洗いものを二人でこなして、すこしだけのんびりしてから帰路へと着いた。
さすがにもう空は暗い。西の山の辺りが少しだけ明るさを残してるくらいだ。
こんな時間に帰るのも久しぶりだなと思いつつ、近所の公園までたどり着いたときそれは感じた。
ふと、人の気配……本来なら人がいようがいなかろうが関係のないこと。
でもこのとき俊介はなぜかとても気になった。
一瞬だけ考えた後、足は自然と公園の中へと進んでいく。
答えが出たのはそのすぐ後だ。
ベンチに座って、ただ何するでもなくうつむいてるのは……
「あれ、あすか? 何やってんだこんな所で」
近くの電灯に灯されたあすかは、なんか儚げに見える……いや、そうでなくとも儚げだ。
ゆっくりと顔を上げると、ニッコリと微笑んだ。
誰が見ても無理してるってわかるくらいに。
「あ……こんばんは。千堂さん」
「こんばんはって……。もう夜だぞあすか。なのに何でこんな所で、それも一人で……」
「ねぇ、千堂さん」
「あ、え?」
俊介の言葉をさえぎるようにして、あすかが話し始めた。
なんとなく、いつものあすかとは違う気がする。
「千堂さんは……好きな人はいますか?」
「えっ? ちょ……あすか!? なんだよ急に」
「わたしには、好きな人がいます。いえ……いました」
「あ、あすか?」
「その人は、わたしよりも一つ年上で、とても優しい人です。誰にでも……笑顔で接してくれる。それでいてスポーツが上手で、特にテニスだと誰にも負けないくらいに」
「え……? それって……」
俊介が答えを言う前に、あすかの方から先に言われた。
「はい。いっくん……いえ、はじめさんです」
「やっぱり」
「一目惚れだったんです。初めて会ったときから。だから、いっくんと一緒にいる時はいつも胸がドキドキしてました」
俊介の脳裏に、ある光景が浮かんできた。
連休明け、あすかがはじめに積極的に話しかけてたとき。敬語がなかった時。
あれにはこんな意味が含まれていたのだ。
ちょっとした疑問が解決されたと同時に、また新たな疑問が生まれた。
さっき……あすかは言い直してよな。好きな人が……“いた”って。
「最初は、いっくんと一緒にいるだけで良かった。でもだんだん……今よりもずっと好きになってきて……。でも、それが形になることはないんです」
「え?」
「いっくんには……あの人の周りには、いつもあの人たちがいる。そしていっくんは、あの人たちと一緒にいると違う目をするんです。わたしと話してるときとは違う、優しくて、とてもうれしそうな目を」
あの人たちがあすかの姉であるさやかと、自分の姉であることはすぐに浮かんできた。
だって、いつも一緒にいるんだから。そして何より、自分の姉は……
「いっくんたちの関係は、とても不思議な関係です。誰かが欠けても、誰かが増えても、誰かが入れ替わってもきっとあぁはならないと思うんです。いっくんがいて、お姉ちゃんがいて、ひかりさんがいて……そして三人を護るように尚哉さんがいる。四人そろって初めて成立する関係だから。そこにわたしは……入れないんです。いえ、入ることが出来ないんです……初めから、そんな隙間なんてないんだから」
「………………」
「今日、実はここまでいっくんと帰ってきてたんです。飲み物を買ってくるといってここを離れて帰ってきたときに……いっくんの隣にはお姉ちゃんがいました。お姉ちゃん、今日も泊まりなんだって。それでいっくんを迎えにきて……。もうそれで解ったんです。やっぱり、わたしには入り込む隙がないって」
ひゅう、と風が吹き抜ける。
春先にしては寒く感じる風が、あすかの髪の毛を撫でていく。
そしてあすかは、先ほどのことをポツポツと語り始めた。
あの時、はじめが飲み物を持って帰ってきたときのことを――――
『おねえ、ちゃん……?』
なんで、お姉ちゃんがここにいるの……?
『自販機の前で会っちゃって……』
『て、ってなによ。あたしははじめを迎えに来たんだからね』
『むかえに…?』
『ひかりがさっきからずぅっと遅い遅いって言うものだから。お夕飯作って待ってるんだけど、冷めちゃったら美味しくないでしょ? だからむかえに来たところなの。それで、そこで見つけて……』
『……そっか』
今日も一緒に、食べるんだ……
『って言うか、俺そんな事一言も聞いてないんだけど?』
『あら、今言ったじゃない』
『さいですか……』
いっくん、困ったように言ってるけど本当はうれしいんだろうなぁ。
お姉ちゃんも本気で言ってるみたいじゃないし。
でも、お夕飯を作ってるのは本当だと思う。
あんまり待たせちゃうのも……わるい、かな。
『だったら、いっくんもお姉ちゃんも急いで戻らないとね』
『あ、あぁ……でも』
『そうだ。あすかも行く?』
『え?』
『たまにはみんな一緒に食べましょ』
確かに……前はわたしも一緒に食べたことがある。
その頃はまだひかりさんはいなかったから、お姉ちゃんがみんなの分を作ってたっけ。
………………
『どうする、来る?』
『……ううん。わたし、ここで待ってないと』
『え? 待ってるって、誰を?』
『お友達から、お買い物に付き合ってって電話が来たの。いっくんが買いに行ってる間に』
『そ、そうだったのか……』
『うん。ごめんね……』
いやいや、そんな気にしないでよ。って言ういっくん。
ごめんなさい……うそなの。
今のこと、全部……
『じゃあ、家にはあまり遅くならないうちに帰るのよ』
『うん…』
『じゃあ、あすか……またね』
『うん。いっくんも……あまりはしゃぎ過ぎないでね』
『わかってるって。それじゃ』
『うん。バイバイ……』
こうして、いっくんとお姉ちゃんは帰っていった。
公園に一人、わたしは残る……
さっきの言葉は全部嘘。
電話なんて来てない。
本当は、行きたくなかった。
お姉ちゃんとひかりさんがいる所に、行きたくなかった。
行っても、見てる自分がつらくなるだけだから……
………………
「わたしには、あの人たちの間に割って入るような勇気、ないんです……」
「………………」
そう言って、あすかは言葉を締めくくった。
なんだろう。さっきまでの気持ちは何処にも残ってなかった。
いや、そもそもそんな気分になってられない。
だって、目の前のあすかが……消えそうに思えたから。
このまま放って置いたら、ここから消え去ってしまいそうに見えたから。
それくらい、今のあすかは……細く弱く見えた。
「そんな事が、あったのか……」
「………………」
少しの間をおいて、あすかがスッと顔を上げた。
その目は俊介の目をじっと見てる。
でも、それを見た瞬間俊介は……
「えっ…?」
「……ねぇ、千堂さん」
「あ、あす…か……?」
つーっと、あすかの頬を月明かりに照らされた光るものが流れ落ちる。
それはあすかの瞳から流れ落ちたもの。
今までこらえてたものが全部、全部……流れ落ち始めた。
「わたしって、駄目なのかな……わたしじゃ、だめなのかな……あの人たちと一緒になるって、出来ないのかなぁ……ッ!!」
ガシッと俊介にしがみつく。
しがみついてあすかは……泣いていた。
「わたし……あの人のことを、好きになっちゃいけないのかなぁ。……わたしにはもう、入り込めないのかなぁ……もう、もう……っ……!」
二人以外誰もいない公園。
そこにあすかの泣き声だけが木霊していた…。
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