10...... それは麗らかな日和のように
何もなかった部屋が、みるみる家具で埋まっていく。
と言っても、一人分なのでたくさんと言うほどではないのだが。
さわやかな青空の下、いよいよ梨乃は今日と言う日を迎えた。
引越し業者に頼むのではなく、全部自分達で。
お手伝いさん総出で家具を運び入れて、梨乃は持ってきた服などを整理してる。
その量一人分とはいえ時間は掛かるもので、全ての終わる頃には太陽も下り坂。すっかり日も暮れようとしていた。
「やっと終わりましたな」
「うん。みんな手伝ってくれてどうもありがとう」
「いえいえ、お嬢さまの大切な旅立ちの日でございますから。お役に立てて光栄です」
「うん……。本当に、今までありがとう。いろいろ迷惑とか掛けちゃったけど、これからは頑張るよ」
「何か困ったことがあったら、何なりと言ってください」
「うん」
「私たちがここを去ってから、お嬢さまお一人での生活が始まります。正直不安なところもございますが……」
「もう〜、私だってやろうと思えば出来るよっ。……お料理以外は」
声が尻すぼみになって、両手の人差し指をくるくると回していた。
確かに、家にいた頃は料理なんて全くと言っていいほどやってない。いや皆無だった。
そんな状態から一人暮らしを始めるんだから、誰だって心配になろう。
「私ども、お料理のお手伝いに来ましょうか?」
「それじゃ一人暮らしにならないよ。本とか見て、一生懸命頑張らないとっ」
「くれぐれも火事にはお気をつけくださいませ」
「もー大石さんがいじめた〜」
部屋の中に笑い声が広がる。
こんな今まで当たり前のようにやってきたやりとり。
一人暮らしを始めたら、それもほとんどなくなってしまうだろう。
これが最後と言うわけではないが、しばらくはできなくなる。
「それでは、我々はそろそろ戻らなければなりませぬ」
「うん……寂しく、なるね」
「それは我々も同じです。こうして一人立ちなさる所を見ますと、お嬢さまも一人前になられたなぁと、感じてしまいます」
「そうだね。私、一人立ちするんだよね」
「お体にお気をつけください」
「うん。大石さんたちも」
「それでは、失礼いたします」
分かれる際に、お手伝いさんたちから、梨乃ちゃん頑張ってねとか、何かあったらすぐに駆けつけますからね! などと言った応援の言葉を貰った。
そして……
パタン
静かにドアが閉まり、部屋に梨乃一人が残った。
「………………」
こうして、いざ一人でいて初めて分かる事がある。
「一人だと、お部屋ってすっごく静かなんだね……」
誰もいない部屋に、梨乃の声がやけに大きく響く。
普段家にいると、元気のいいお手伝いさんの声がいつも聞こえてきていた。
もう一人のお父さん的な存在の大石さん。
親身になって、時には友達のように話してくれたお手伝いさんたち。
その声が、いまはない。
窓の外から聞こえてくるは、外の賑やかな音だけ。
「なんだか、急に一人暮らしなんだって実感しちゃった……」
夕暮れ深まり、徐々に暗くなっていく。
ただ何をするでもなく、梨乃はしばらくその場に立っていた。
お手伝いさんが作っていってくれた夕飯を食べ終えて、引っ越して初めてのお風呂に入って。
荷物整理なんかをしていたらあっという間に時間は過ぎていった。
大体は終わったけれど、日常生活的なものは一切ない。
こればっかりは、自分で買いだしに行かないと。
引っ越す前はほとんどをお手伝いさんたちがやっていて、自分では一度もやったことがない。
唯一、俊介という友人が出来てからは遊びに少しだけ買い物をしたことはあるが。
「明日は……一人で買い物しないとなぁ」
ちゃんと、できるかなぁ……
一瞬だけ、俊介にすべてを明かしてしまおうかとも思った。
でもそれはすぐに思いとどめた。
彼には黙っておこう。学校で会う時まで。
彼にこの街で会うまでは、ヒミツにしておこう。
ビックリさせたいから。驚かせたいから。
俊介君、何ていうかな。
驚くかな。喜んでくれるかな……?
私、迷惑なんかじゃないよね?
いろいろ迷惑掛けちゃったかもしれないけど……。
「……ダメだな。私」
ふぅっと大きく息を吐く。
会う前からこんな弱気じゃダメだ。
自分で否定しちゃったら、全てが無意味なことになっちゃう。
自分で決めたこと、守れなくなっちゃう。
今までの、引っ込み思案のおどおどした自分を変ええるため。
今までの、誰にも話しかけられないような自分を変えるため。
そしてなにより、俊介に会うためにここまで来たんじゃないか。
始まる前から弱気になったら、ダメなんだ……。
「明日から、頑張らないと」
そういうと、梨乃は何もない天井に向かって、
「頑張るぞーっ!」
と、大きな声で言った。
初めての経験は、やはりと言うかなんと言うか。緊張するものである。
それが一人でいるならなお更だ。
今、梨乃は駅前の商店街に来ている。
引っ越してくる前に、ここにはこんな物があると言うように一通りは見ておいた。
その時は一人じゃなかった。
でも今回は一人。
しかも人の往来が多い。
俊介と一緒に出かけた場所とは全然違う。
思わず、足がすくんでしまった。
「だ、大丈夫かな……」
正直言って、梨乃は人の多いところは苦手。と言うか慣れてない。
「うぅ……参ったなぁ」
「あの」
「えっ…?」
ふと声を掛けられたような気がして振り返ってみると、そこには一人の女の人が。
いま……私に声をかけたの?
「どうかしましたか?」
「えっあ、あの……えっと……あのあの」
「お、落ち着いてください。別に変な事はしませんから。ただちょっと困ってたみたいなので声をかけたんですよ」
「は、はぃっ!」
「ふふ。声が裏返ってますよ」
口元に手を当てて、控えめに笑顔を作る。
梨乃は慌てて口を手で塞いだ。
何ていうか、彼女らしくない行動…。
俊介が見たら何て言うだろう。
「す、すいません……」
「いえいえ。わたしの方こそ笑っちゃってごめんなさい。それで、どうかなさったんですか?」
「あ、あの……この街、初めて来たもので……何処に何があるのか分からなくて」
「あらあら。それはさぞお困りでしたでしょうに……一体何をお探しなんですか?」
「えっと……た、食べ物とかコップとか石鹸とか……とにかく、生活用品一式、です」
「なるほど。いろいろと買わないといけませんから大変ですね」
梨乃の言葉に、うんうんと頷いている。
そして、ポンと手を打つとにっこり笑って言った。
「では、もしよろしければわたしがお店を案内して差し上げましょうか?」
「えっあの。いいんですか?」
「えぇ。もともと声をかけたのはわたしですし。お任せください」
「はっはい。えとと……あ、ありがとうございます」
「いいぇ〜。それでは、まいりましょうか」
たくさんの人で賑わう商店街を、女の人からはぐれないようにして歩いてく。
梨乃は歩きながら、ちらちらと伺うように見てみた。
とても柔らかそうに話す人。
自分ではとてもじゃないけど出来そうもない…。
そして背丈は同じくらい。
肩くらいの髪の毛を揺らしながら、姿勢よくまっすぐ前を見て歩いてる。
スタイルは……自分より上かも。
そんな風に見ていると、視線を感じたのか女の人がこっちを向いた。
「? わたしに何かついてますか?」
「あっい、いいえっ! その、きれいな人だなぁと思って……えっと、ごめんなさい」
「ふふ。ありがとうございます。でも、同姓の方に言われてもやはり恥ずかしいですね」
ほんのり頬を赤く染める。
特別慌てたそぶりを見せない。
何と言うか、とっても物腰の落ち着いた人だ。
それに引き換え自分はというと、さっきから慌てたり挙動不審だったり……全然落ち着きがない。
心の中でため息一つ。
本当に、とても同じ女性とは思えないよ……はぁ……。
「さっき、ここに来たのが初めてと言ってましたけど、最近引っ越してこられたんですか?」
「あ、はい。昨日……引っ越してきました」
「どうですか? あなたの目から見る霞ヶ丘は」
「えっと……人が多いなって。私が前に住んでたところとは全然違うから……その、ちょっと驚いてます」
「なるほど。でも、ここも住宅地の方に抜けるととても静かですよ」
「そうなんですか」
「はい。お時間があったら是非一度歩かれてみてください。きっとお気に召しますよ。―――あっ食器類はここのお店に売っています」
それから、梨乃は彼女に案内されて一緒にお店を回っていった。
探してるものがどんどん見つかっていく。
その中で話していくうちに、梨乃も少しずつ慣れてきたようだ。
会話の中に“どもり”が少なくなってきてる。
そして、時より笑顔も見せるようになった。
「ここのお店は、他より安く売ってるのでお勧めですよ」
「なるほど……覚えておきます」
「あと他に買うものはありますか?」
「えっと、後は……あ、もうこれで全部みたいですね」
気がつけば、両手がすっかり袋で占拠されていた。
「こんなにたくさん買わなきゃいけないのに、なんで準備しておかなかったのかなぁ……」
「こういう物は意外と後になって気がつくものですからね」
「そうですね。でも、おかげで全部揃いました。どうもありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。お役に立てて何よりです。この街での新しい生活、頑張ってくださいね」
「はいっ」
「それでは、またどこかであえるといいですね」
そう言って彼女はぺこりとお辞儀をすると、また人ごみへと歩いていった。
梨乃は見えなくなるまでその場に立っていた。
両手にはたくさんの荷物。
自分ひとりじゃとてもじゃないが買えなかっただろう。
あの人に、また会ったら御礼をしないと。
梨乃はそう思って家路へと着いた。
時間は丁度お昼頃。
肝心のご飯の方は、お惣菜を買って済ませた。
一番の心配事である自炊生活は、もう少し先になりそうだ……。
家に戻って、荷物を置いてお昼ご飯を食べて。
午後になって梨乃は再び商店街へと来ていた。
もう今度は迷わない。
なぜなら、さっき買い物途中に見つけておいたから。
ある目標を達成するために、自分はこの店に入る。
それは、買い物最中の会話でのこと……
『自分を変えたい、ですか?』
『は、はい……私、見ての通り引っ込み思案で上手く話せないから……引っ越してきたのを機に、自分を変えたいんです』
『う〜ん……自分を変えたい、かぁ。性格的なものは時間をかけて変えるしかありませんが、気分的・外見的なコトとして、イメージチェンジをすると言うのも一つの手ですよ』
『イメージチェンジ?』
『はい。今までの自分は毎日見てますよね。自分もその周りに人も。そこで、外見を新しくするんですよ。服装を変えるとか、髪の毛を切るとか。たったそれだけでも、思った以上に効果は出てくるはずです。……ちょっとヘンな例えですけど、失恋をした女の人が髪の毛を切るのはそんな理由から来るんだとわたしは思います。髪の毛と一緒に今までの想いもすべて流して、また新たな一歩をって感じに』
『な、なるほど……』
『見た目を変えて、気分も新鮮になればおのずと変わることが出来るはずですよ』
自分を変えるならまずは外見から。
そう彼女は言っていた。
確かに言われてみればそうかもしれない。
新しい自分になったら、気分も変わるかも。
服装は……さすがに買うとお金が掛かりそう。
だからここは……
「いらっしゃいませ」
店員さんに案内されて椅子に座る。
心臓が少しドキドキしてきた。
当然ながら、一人で自ら美容院に行くのも初めてだ。
それでも不安にならなかったのは、さっき歩いたことで地理が分かったことと、梨乃の変わりたいという気分が緊張を解したからだろう。
自分を変える……今までの自分とはサヨナラするために……
梨乃はすぅっと息を吸った。
これが、新しい自分への第一歩…………
「ばっさり、短くしてください。肩ぐらいまで」
…
……
………
…………
……………
………………
そして時は流れて――――――
真新しい制服を身に着けた一人の少女が、正門を前にして立っていた……。
ピンク色の肩ほどまでの髪の毛を風に揺らしながら……
場所は変わって、ここは教室。
今日で四月も終わろうかという日。
木々の新緑が眩しい今日この頃。
俊介の高校生活も一月が経とうとしていた時の事だった。
「あっそう言えば……ねぇねぇ、俊介は聞いた?」
朝のホームルームまでの時間、いつものメンバーと何気なく話してるところに、茜が思い出したかのように言った。
「聞いたって、何を?」
「転校生だって。ウチのクラスに」
「転校生? そらまたずいぶん微妙な時期にだな」
「でしょでしょ? きっと新入りは前の高校で何かあったのね」
「ご両親の仕事の都合という事もあるかもしれませんよ?」
「やっぱりケンカかなぁ」
茜・あすか・梢の三人がそれぞれ違う意見を言っている。
どちらにせよ、こんな時期に転校生とは珍しい。
一体どんな人が来るんだろう?
「ま、俺には関係ないことだけどね〜」
そう言って、持ってきたペットボトルのジュースをぐいっと飲む。
そこへ丁度よくチャイムが鳴って、先生が入ってきた。
「いよいよ転校生とご対面ってワケね。楽しみだわ」
「まぁ好きにしてくれや〜」
「あんたはホントに面白くない奴ねぇ」
茜がそうこぼして、おのおの席へと戻ってく。
全員が席に着いたところで、先生から話が始まった。
「まぁ突然といえば突然だが、転校生を紹介する。みんな仲良くするようにな」
知ってる人は、来たか……という感じで。知らない人は、えぇーっと驚いてる。
全員が知っていたわけじゃないようだ。
クラスが俄かに騒がしくなる……。 そして、俊介の前の席に座る翔真もまた、知らない方だった。
「おい俊介、転校生だってよ。4月だってのにずいぶん早いよな」
「そーだなー」
「女子で可愛い子だったらどうするよ? 男としてはお近づきになりたいよな」
「そーだなー」
「でよ……って、お前人の話聞いてるか?」
「そーだなー」
「だ〜めだこりゃ。完全に興味ねぇって顔してやがる」
「特別興味もないさ」
「けっ。連れない奴は放置だ。放置」
そんな事を言ってるうちに、先生の話が終わっていよいよ渦中の転校生がドアを開け、教室へと入ってきた。
賑やかな室内が一変。シーンと静まり返る。
「……あら?」
途中、クラスの誰かが小さな声を上げたような気がした。
「(ま、特に関係ない…………な?)」
違和感。
そう、入ってきた転校生を見た俊介に違和感があった。
思わずジュースを飲んだままの姿勢で止まってしまう。
なんか、何処かで見たことあるような……?
そして、その違和感は次の瞬間カタチとなって確信へと変わったのであった――――――
『初めまして。籠原梨乃です。どうぞよろしくお願いします』
ここでクラスメートは拍手を……送れなかった。
送りたくなかったのではない、文字通り送れなかったのだ。
なぜなら、彼女が名前を言った瞬間に一人の生徒が……
「ぶうぅぅぅぅーーーっ!!」
「うわ?! きったねぇ!!」
翔真が大声と共に飛び上がる。
その後ろでは俊介が盛大に飲んでいたジュースを机に向けてジェット噴射していたからだ。
「げほっげほっ……ごほっ……り、梨乃だってぇ?!」
俊介は、ジュースを噴いたのもそのままに、籠原梨乃と名乗った少女の方向を見た。
何故だ?
何故、どうして梨乃がここに……?
彼女は……梨乃は春日井町にいるはず。
なのに……いや、でも彼女は……それに……
もう何がなんだか分かったもんじゃなかった。
俊介は梨乃を見つめていて、そして梨乃もまた俊介のことを見つめていた。
「な、なんでここに……?」
ジェット噴射でクラスが騒がしくなる中、梨乃は動じることなく、そして俊介だけに分かるように、ニコッと小さな笑顔を見せた。
――――二人が再開を果たす時、それは物語の歯車が大きく動き始める―――
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