「………………」


無言で見つめる目と目。そして――――。








::〜8月31日の急展〜::










どこかの天気予報で言っていた。


『今年は冷夏になる見込みです』


これは多いに外れる事となる。

なぜなら今日も……


「ったく! これのどこが冷夏なんだよ!」


午前ですでに気温が30度に達しようとしていた。



そんなワケもあって、今日も暑い夏の日。

セミにとっては最高に鳴き甲斐のある条件。

もちろん、聴いてる側からすれば余計に暑く感じるだけなのだが。

この暑さ、結局夏休みが終わる今日までほとんど変わることはなかった。

唯一、夕立が降る時にだけ少しだけ涼しくなる。

そしてまた夜は熱帯夜と……まさに夏だった。

その中、俊介はいつものように梨乃の家へと歩いていた。

もう何度も通った道。緊張のきの時もない。

呼び鈴を押して中に通してもらうと、お手伝いさんの一人がドアを開けて待っていてくれた。


「千堂さん、こんにちは。今日も暑いですね」

「あっどうも。そうっすね、ここ来るまでの間にすっかり汗かいちゃいました」

「さぁ、中へどうぞ」


夏休みが始まって、何度も来る間にお手伝いさん達にもすっかり顔を覚えられ、今ではこうして話までしている。

最初でこそ緊張気味だった俊介も、不自由なく話してるところを見ると慣れた模様。

広い籠原邸の中も、梨乃の部屋だったら迷わずにいけるくらい。

つまりそれだけ、来ていると言うわけだ。

部屋へ向かっている途中に、執事の大石と会った。


「あ、これは千堂様」

「どうも」

「お嬢様はただ今お風呂に入ってございまして……お部屋でお待ちいただけますか」

「あ〜ハイ。待ってます」

「後ほど冷たい飲み物を持っていきますので。では」

「ありがとうございます」


そうか、梨乃は風呂か……

一瞬だけ邪な考えが浮かんだが、首をブンブン振って追い払う。

まてまて、俺はそんなことを考えに来たんじゃない。

頭から追い払って、再び梨乃の部屋へと向かう。

ドアを開けると、確かに梨乃はいなかった。

開いた窓から風が入り込み、白いカーテンを揺らしている。


「さて、何してようかね」


本棚から適当に本を取り出すと、椅子ではなくベットに倒れこんでペラペラとページをめくる。

ちなみにこれもいつものこと。

大体は俊介が寝転がって、梨乃が近くに座って話をする、と言う形になってる。

特に見たいわけでもない本をボーっと眺めつつ、梨乃が来るのを待つ。

今頃、クラスの中のいくつかは夏期講習の真っ最中だろう。

華の中学三年生、受験シーズン真っ盛りなこの時期に、自分はこうしてボーっとしてる。

余裕ぶってるわけではないが、少しだけ罪悪感が出た。

俺も少しずつやるかな…。

そう思ったとき、ドアの開く音が聞こえた。


「あっ俊介君。ゴメンね、お風呂に入ってたから……」

「おっす梨乃っぺ。午前から風呂とは豪勢だな」

「ちょっと水を被っちゃったものだから」

「水?」

「うん。お庭に水を撒いてたら、急にホースが破裂しちゃって……全身ビッショリ、と言うわけなの」

「はははっそうかそうか。梨乃も朝から大変だったな」

「うん……ずいぶん待ったでしょ?」

「んにゃ、全然。ここ来てからすぐって感じだった。だから待ったって感覚ないや。さて、今日はなにするかねぇ」

「もう〜っ、今日は夏休みの宿題の残りを終わらせようって言ってたでしょ」

「あれ? そんな事言ったっけ?」

「言いました〜」

「記憶にないなぁ…?」

「嘘つきぃ」


梨乃が頬を膨らませる。

別に本気で怒ってるわけじゃないので頬は膨らんでても眉はつり上がってない。

これもいつもの事なのだ。


「8月31日は嘘ついてもイイ日なんだぞぅ」

「そんなの聞いた事ないよ」

「そりゃそうだ。今決めたからなっ」

「も〜っそうやってすぐに話しそらすんだから〜」

「宿題=建前・本音=遊びたい」

「終わらなかったら2学期始まってからやらされちゃうよ」

「……今日は宿題を本音にします」


さすがに2学期が明けても宿題をやる気にはれない。

渋々俊介も折れた。

中学も3年生になると、夏休みの課題で出されるのは受験に向けた内容のものとなる。

1学期のおさらいは当然として、どこかの高校の過去問とか模擬試験の問題など。

見てて頭が痛くなるものばかり。

夏休み中にこうして遊びに来てる間、コツコツ宿題に手を付けてきたお陰でもうちょっとで終わる。

これに開放されたら爽快だろう。

二人はいつも通り、大き目の机に課題を広げると問題を解き始めた。


「はぁ、今日で楽しかった夏休みが終わりと思うとなんだか……悲しくなってくるよ」

「そうだね。今になってみて、あの時あぁしてればとか思っちゃう」

「今から夏休みの頭に戻りてぇ」


現実は、非常だった。


お昼ごろになって、お手伝いさんがお昼ご飯を持ってきた。

今日のメニューはそうめん。

何とも庶民的なそうめんが、梨乃の家とくらべてミスマッチ。

住んでる本人曰く『外見で判断しちゃダメだよ』との事。

言ってるのが梨乃だけあって、説得力がある。

まだ俊介と知り合ったばかりの頃は、よく普通の人と同じ生活がしたいと言っていたが、今ではほとんど言わなくなった。

それは、俊介が意識してないことと普段こうして一緒にいるからである。

それだけ影響が大きいのだ。

今梨乃から見れば、十分満足できてるんだろう。

彼女の顔から笑顔が絶えない。


「やっぱ、夏はそうめんだよな。それかあれだな、あえて熱いラーメン。これ最高なり」

「そうなの?」

「郷に入っては郷に従えって言うの? 暑いからといって冷たいモノを食べるんじゃなくて、暑いからこそ熱いのを食べる。そして、その後扇風機を浴びれば……って」

「効果あるのかな?」

「あるんじゃない。 事実海の家のラーメンはよく売れる。のびてるけど」

「あはは……あ、そういえば海とかプールは行ってないね」

「まぁ仮にも受験生だし。俺が言うと重みがないけど、勉強してろってやつ?」

「行きたかったなぁ」

「梨乃の家にプールないの?」

「流石にプールはないよ……」


何処の家にもないと思うが……まぁいいだろう。


「ま、来年行こうや」

「うん。約束ね」

「おっけー。梨乃こそ忘れるなよ」

「俊介君もね。忘れたら怒っちゃうから」

「屈葬は勘弁な」


お腹もいっぱいになったところで再び作業再開。

ここで勢いが付けば終わるのだが、二つの悪魔が邪魔をした。

一つは満腹感から来る眠気。

そしてもう一つは夏の午後特有の……


「…あちい」

「うん、暑いね……」


夏、特にお昼過ぎから夕方に近くなるまではもっとも暑く感じる時間帯。

電力消費がピークを迎えるのもこの時だ。


「梨乃、冷房入れようぜ……」

「やっぱり、窓開けただけじゃダメなんだね」

「たかが知れてる…これが証拠。せっかくそうめん食べてひんやりしたのに効果が消えた」

「私も…。じゃあ、エアコン入れるよ〜」


蒸した部屋に広がる涼気。

まさにこれは天国そのもの。


「生き返ったお〜」


さぁ、これで作業再開か?


「なぁ、梨乃〜」

「うん?」

「…放棄していい?」

「ダメ」

「そ、即答っすかぁ」

「あと少しだから、頑張ろう。ねっ」

「りょうかいぃ〜……」


最後の聖戦。

頑張れ俊介!

彼がこの戦いに勝利したのは、それから1時間後のことだった。


「……お、終わったぁ〜」

「お疲れさまぁ」

「梨乃もな〜。あぁ、ベットで横になりてぇ」


フラフラと歩きながら、そのままベットに倒れこむ。

後に続けとばかりに、梨乃も。

二人が大の字になって寝転んでもまだ余裕があるベットは、相当大きい部類に入るだろう。

これならどんなに寝相が悪くても転げ落ちることはない。


「梨乃〜。これ終わってからって何かやる事あったっけ〜?」

「ううん……何もないよ〜」

「じゃあこれからの予定は……昼寝ということで」

「さんせいぃ」

「それではみなさま……良い夢をぉ〜」


俊介たちが夢の中に落ちるまでそう時間はかからなかった。


夏の青空が過ぎ去っていく。

明日見る空は、いつもと変わらないように見えるが違うもの。

今度見れるは来年か。

名残を惜しむかのように、ゆっくりとその色を変えていった。


「……んぁ」


俊介が目を覚ました。

傍らでは梨乃が起きてた。


「なんだ、梨乃はおきてたのか…?」

「うん。と言ってもつい今だけどね。あんまり変わらないよ」

「そうか…」


窓の外へ目を向ければ、もう空はオレンジ色。

初めて梨乃の家に来た時と同じ色だった。

違うところといえば、ヒグラシの鳴く声が増えたことか。


「…終わっちまうな。夏休み」

「うん……」

「梨乃は楽しかったか?」

「うん。今までで一番楽しかったかもしれない」

「そりゃあ俺としても良かった。遊びに来た甲斐ってものがある」

「うふふっ。そうだね」

「あぁ」


夏休みが終わろうとしている。

明日からは再び学校が始まり、本格的に受験生として動かなければならない。

こうやってのんびり出来るのは次はいつだろう?

と、梨乃が俊介に近寄った。

まだ寝転がったたままの俊介は、自然と梨乃に覆いかぶされるカタチになる。

自分のすぐ目の前に彼女の顔が。心臓が一つドクンと大きく鼓動を打った。


「ん、梨乃? どした」

「さてここで問題です。私はこの後なにをするでしょう」

「え? なにするって……何するんだ?」

「ぶ〜。時間切れ」

「いや、それ早すぎだっての」

「罰ゲ〜ム」


梨乃が片手で自分のこぼれ髪をかき上げた。

そして、目を閉じ近づいてきたたかと思えば、くちびるに今まで感じたのこのない初めての感覚が駆け抜けた。

俊介がキスだというのに気が付くまで1秒ちょっと。

時間にすれば一瞬だが、気づくまでかなりの時間そうしていたように感覚では覚えていた。

舌を合わせるとか、むさぼるようなディープなのじゃなくて、ただ二人の唇が触れるくらいの軽いキス。

一体何故こうなったのかさっぱり分からないが、イヤと思うものではなかった。

しばらくして、してきたのと同じく梨乃から唇を離した。

ぼぅっとなる中、さっきまであったしっとりとした唇の感覚が徐々に和らいでいく。

それまで目を瞑っていた梨乃がゆっくりと開いた。


「り…の……?」


俊介が出した精一杯の声。

それに答えるかのように、ニコッと梨乃が笑いかけた。


夏休み……最後の最後で訪れた印象深き思い出。

この夏休みの間に、梨乃と更に仲良くなれた気がした。











も ど る