・風の吹くとき 〜薫風のそよぐ街 Side Story〜


まぁ、なんといいますか……。
正直最初に聞いたときは血の気が引いた。
貧血って、ああなるんだなぁって。
それくらいに衝撃だったわけ。
目の前が真っ暗になったというか、自分も同じになったと言うか。
今まで生きてきてあれほど動揺した事って、ないだろうなあ。
ともかく“その”出来事から数日経って、今日に至るのであった。

僕――広野  智也(ひろのともや)――は、自分で言うのもなんだけどどこにでもいる学生だ。
成績も運動も平均の域を出ない量産型だけど、まあそこはそれ。
いや、僕のことはどうでもいいんだ。それよりも大事なのは僕じゃなくてその……彼女、なんだ。
自分から言うのも結構恥ずかしいけど、僕にもついに彼女ができまして。
その子は“大咲  真奈美(おおさきまなみ)”って名前で、僕よりも歳は三つ下の中学三年生。
……うん、まぁ中学生なんだ。彼女が。あんまり大きな声で言えないんじゃないとか思う。
べ、べつにやましい事をしてる訳じゃないから隠すつもりもないけどさ!
まあなんと言いますか、高校生と中学生。しかも三つ離れてると一緒になることがまずない状態だから一見なんの接点も無いように見えるけど、彼女には姉がいまして。
それが僕のいっこ年上の幼馴染“涼子(りょうこ)”。今は大学一年生。
もともと親同士が仲良かったって理由で知り合ったんだけど、離れることなくそのまま今に至るって言うわけ。
涼子ちゃん(って言わないと怒るんだ……)とも仲は良かったけど、とりわけ妹の真奈美ちゃんにはよーく懐かれてた。
どこへ行くにも後ろを着いて来て『トモちゃーん、トモちゃーん』って。
僕も僕で本当の妹みたいに可愛がってたから、周りから見たら本当に兄妹に見えたかもね。
やっぱりそこが一番強いのかな。
僕としても一人の女の子としての対象・妹としての対象があったけど、好きな事には変わりないわけで。
年を経るごとに、学年が上がるごとに徐々に大人っぽい容姿に変わっていくのを見てると思わずドキッとしてしまうわけで。
面と向かって話すのが恥ずかしく感じてきた辺りから『ああこれは恋なんだな』って意識しだした。
今にして思うと向こうもそう思ってたみたいで、なんだかお互いに煮え切らない時間を過ごしてきていた。
で、遂にと言いますか、夏休みも近づくある日、真奈美ちゃんに呼び出されて、告白されて、付き合う事になった。というわけ。
年下の女の子に告白させるなんて男らしくない。タイミングって重要なんだと思い知った18の夏。
とまぁ言葉で表すと簡単だけど、実際は他にもいろいろあったんだ。ただそれを含めるととても時間がかかるから……。

ああそうだ。なんで僕の血の気が引いたのかって言うと、あんまり大きな声で言えないというか、まるで言いふらしてるみたいで本当は嫌なんだけど……真奈美ちゃん、事故にあったんだ。
見通しの悪い十字路で、出会い頭に車と……って。あ、べっ別に命に別状はないからね?! 見通しが悪いから向こうもスピードを出してなかったみたいで、ぶつかったけどちょっと跳ね飛ばしたくらい。
上手いこと道端の草むらに飛んだのがクッション代わりになって、ちょっとしたかすり傷とぶつかった事による軽い打撲、そして足を骨折しただけで済んだんだ。
でも、本当に運が良かったと思う。だって人身事故だよ? 交通事故だよ? 最悪命に係わるんだよ?! 心臓が止まるかと思った。
幼馴染のときでさえそうだったであろうし、ましてや彼女……恋人同士の関係になった翌日の事だもん。
青天の霹靂、急転直下なんて言葉すらも軽く思えた。運命をちょっとだけ呪った。
大慌てで病院に駆け込んで、真奈美ちゃんのいる病室に入ったときに笑顔で迎えられた瞬間、全身の力が抜けて目の前が真っ暗になったっけ。
良かったって思う気持ちと、予想外の展開に身体が一瞬機能を停止したみたいで。
次に気がついた時はベット脇の椅子に座っていた。
真奈美ちゃん曰く、自分の事故のときよりもビックリした、らしい。

症状が軽かったのと、精密検査の結果頭や身体に異常が見られなかったので、真奈美ちゃんは一週間程度で退院する事ができた。
とは言え、足の骨はまだくっついてないから右足はしっかりと固定されているし、念のための事故後の静養と言うことも含めて他の人よりもちょっとだけ早い夏休みになっていた。
今年は受験の年だし、学校には行っておきたかったなぁって悔しそうにしていたっけ。
『この足だと、塾とかにもいけないね』なんてのも。
かく言う僕も高校三年生で、今年は同じく受験生。
本来なら夏は勝負の時期のはずなんだけど……そんな事があったから勉学が完全におろそかに。
勉強とお見舞いって言う二つの天秤に翻弄されてる……ハズ、だった。





『ありがとうございましたー』

マニュアルどおりの声が背後から聞こえる。
一歩外に出たときから感じる、下から湧き上がってくるような暑さとジリジリと照らしつける太陽の光。
そして何処かで鳴いているセミの鳴き声と……暑さを感じる三重奏が容赦なく僕を攻撃していた。
これだと、せっかく買ったアイスも長くはもたないだろう。
早いところ向かわないと…。

「暑いなー」

思わず口に出てしまった。
海も近いせいか余計に暑い気がする。
海沿いに沿って走る大きな通り『海岸通り』は地元住民や他所から来た人などでこの時期は溢れてる。
水着姿で歩いてる人も当たり前のように見られる。まさに海岸通りの名にふさわしいかも。
そこから内陸に向かって住宅地が広がっていて、駅を挟むと今度は山の傾斜に沿って伸びる『公園通り』の両側に住宅地が並んでいる。
僕らが住んでるのは駅に近い海側だ。学校までは坂を少し上らないといけない。
真奈美ちゃんの通う中学校は、僕の通ってる高校よりももうちょっと上にあるから、もっと大変。
そういった事もあるから早めの夏休みになったのかもしれない。
なんて事を考えてるうちに、僕は目的地である真奈美ちゃんの家の前まで来ていた。
周りの家と比べると明らかに大きさが違う家屋。
お金持ちってワケじゃない。その代わりに一階は家じゃないのだから。
真奈美ちゃんの家はお蕎麦屋さんをやっていて、一階はお店になっているのだ。
住宅としての機能は二階と三階。だから他よりも一段高いワケ。
当然お店から入るわけにはいかない。住宅としての入り口はこの裏手だ。

『お、智也じゃねーか』

裏手に回ろうとしたところで、僕は声をかけられた。
見れば板前さんの格好したアンちゃんがニカッと歯を出して笑ってる。

「あ、ども」
「今日は買っていかないのか? 今なら時間も頃合だしオマケするぜ」
「いや。いいですって。それにもうお昼は済ませてあるので」
「なんだそうか。じゃあ次は頼むぜ! 親御さんにもよろしくな!」
「はい」

ぺこっとお辞儀をして、今度こそ裏手に回る。
あの人はここができた時から働いてるから、小さい頃の僕たちも知ってる数少ない人だ。
歳はそろそろ30くらいになるのかな。なんでも、高校卒業と同時にここで働き出したそうな。
曲がった事が大嫌いでサッパリした人だから近所からの評判も上々っと。
そんなこんなで、大咲家の本当の玄関に到着。
呼び鈴を押そうとした時に、ガチャリと音がしてドアが開いた。
中から出てきたのは僕のいっこ上の幼馴染、涼子ちゃんだ。

「おろ、ヒロだ。真奈美に用かい?」
「そりゃあね。あ、これお土産」
「いやー悪いねいつも。じゃあ冷蔵庫の中入れといてくんない? わたしゃこれから出かけるから」
「サークル?」
「そ。真昼間だってのに飲み会だって。先輩達はサークル活動って名目打って飲みたいだけかもね」

あははっと涼子ちゃんが笑う。
短めに切られた髪の毛が風に乗ってゆらゆらと揺れた。

「僕も来年はそうなるのかな」
「まっさか! ヒロは飲み会ってイメージ連想できないよ。童顔だから絶対にお店の人に止められる」

今度はわははと笑って僕の背中をバシバシ叩いた。
涼子ちゃんは僕の事を今でも“ヒロ”と呼ぶ。
苗字から来たあだ名だけど“トモ”って言わないのは真奈美ちゃんが言ってるからだろうか。

「僕ってそんなに子供っぽく見えるのかな……」
「その“僕”って一人称も込みでね。それじゃ、電車に遅れるからわたしは行くよ」
「うん。いってらっしゃい」

そのまま出て行くのかと思ったら、すすっと近寄ると僕の耳元でささやいた。

「誰もいないからって、抵抗できない真奈美を襲うなよー?」
「なっ?! そ、そんな事しないよ! って言うかおばさんは?」
「母さんなら今日はお店だよ。だから家には真奈美一人」
「あ、そうか。真奈美ちゃん大丈夫かな」
「そーんな動けないわけじゃないんだから。ヒロも彼氏になった途端に甘々だなぁ」
「そういう訳じゃないけど……」

あはは、わははときて最後にはイヒヒに変化した。
ホントに、この人はいつもこうだ。
と思ったら、急に寂しそうな表をするんだからもう。

「あーあ、わたしも彼氏ほしーな。我が妹ながら真奈美が羨ましいよ。にしても、ねぇー」

一変。こんどはニヤッとした笑いに。
ころころ変わる表情とは、きっと涼子ちゃんみたいなのを言うんだろうなぁ。
つま先から頭までをなめる様に見上げてきて、最後に『ふっ』と言って黙ってしまう。
すっごく気になるんですが!

「まさかヒロが本当に真奈美と付き合うなんてねー。やっぱあれ? なんだかんだ言ってもヒロも男の子だし?」
「そ、そんなやましい事目当てじゃないよ! 僕は――――」

「……だってさ。真奈美」

――――えっ?
涼子ちゃんが視線を僕よりも後ろ……玄関の中のほうへ向けて言った。
つられて振り向いてみれば、そこにいたのは松葉杖をついた黒髪の女の子。
紛れもなく、真奈美ちゃんその人だった。

「えっ? えぇ?!」
「いやーやっぱ夏だわね。暑くてしょうがない」
「お、お姉ちゃん!」
「さってと! 電車の時間も迫ってる事だし、涼みたいから早いとこ行こうかなー。あ、帰ってくるの遅いからそれまで真奈美のことよろしくねヒロ。それとお父さんもお母さんも最後までお店だから! それじゃ〜」

言うだけ言い切って、颯爽と駆けていく涼子ちゃん。
まるで暴風雨が駆け抜けたあとのような感じ。
取り残された僕と真奈美ちゃんといえば、小さくなって角を曲がっていく涼子ちゃんの姿をボーっと見続けてるだけ。
ちりりん、と縁側に吊るされている風鈴の音がした。

「まったく。お姉ちゃんは」
「まあ。あれが一番涼子ちゃんらしいよね」
「うん……」
「あっそうだ。あらためまして、こんにちは。真奈美ちゃん」
「こんにちは。いらっしゃい……えと。トモ、ちゃん」
「おじゃましていいかい?」
「う、うん」

そう言えば、買ってきたアイス大丈夫かな、と脳裏によぎりながらも僕は大咲家の玄関を跨ぐのであった。

勝手知ったる……と言えばそうなるんだけど、やっぱりそこは遠慮してなんぼ。
小さい頃は何の気もせずに上がりこんで走り回ってたのが妙に懐かしく感じる。
松葉杖を使ってゆっくりと廊下を進む真奈美ちゃんの後ろを着いていきながら、まずはアイスを冷やすために台所へ。
下がお店だからといって、自分の住む家までもがそれらしくなるわけじゃない。
内装はどこの家とも変わらないごくごくフツーの感じ。
ただ他と違うのは、それが二階にあるという事だけ。

「あとで食べようね。暑い中歩いてきたから少し溶けてるかも」
「ありがとう。ごめんね。いつもいつも」
「いいのいいの。だって僕自身も食べたいんだから、ね?」
「ふふっ。それじゃあ、よく冷やしておかないと」

箱に入ってるから確認できないけど、もしかしたら少し形が崩れてるかもしれない。
棒の部分がズレてたら食べにくくなるしなぁ。ちゃんとお皿を用意してもらわないと。
冷蔵庫を閉めたら台所を後にする。
今度の目的地は居間……と思いきや、そのまま通り過ぎて廊下へと出た。
二階から三階へ続く階段。この上は涼子ちゃんや真奈美ちゃんの部屋がある。
という事は、きっと真奈美ちゃんの部屋に行くんだろう。
ここ最近来てないから、久しぶり。
でも……彼女になったとは言え女の子の部屋。
ちょっとだけ恥ずかしい部分があるかも。
こういう時姉や妹がいると何の抵抗も無いんだろうけれど、あいにく僕は生粋の一人っ子。
“妹みたいな娘”と“妹”では山よりも大きく谷よりも深い差がある。

「トモちゃん、ごめんね。進むのが遅くて」
「しょうがないよ。焦って怪我したらコトだからね。それに、まだまだ時間はあるから大丈夫さ」
「……うん」
「手を貸すかい? 辛かったら遠慮なく言ってね」
「大丈夫。これに慣れないと、生活が、できないからね」

一歩一歩、折れた足に体重がかからないように片方の足と松葉杖を使ってゆっくりと昇っていく。
バランスを崩して転ばないように、僕はいつでも助けられるようにすぐ後ろを行く。
ギィ、ギィと音を立てながら、時々立ち止まって呼吸を整えてから、また一歩と踏み出していった。
もう少し足が良くなるまではどうしてもこの状態が続くと思うと、正直心が痛い。
もしもなんてのはありえないけれど、もし僕があの時真奈美ちゃんの傍にいたら……と考える。
そしたら絶対に、危ない目には合わせなかったのに。
だからこそ、僕は心の中で誓う。これからは何があっても絶対に真奈美ちゃんを守るって。
いつもの倍以上の時間をかけて昇り終えた頃には、真奈美ちゃんの息は少しだけ乱れていた。
やっぱり思い通りに動かないのは予想以上に疲れるんだと思う。
そんな姿を見たからだろうか、僕の身体が勝手に動いたのは。

「わっ……と、トモちゃん?」
「ごめんね。痛いとかキツイとかない?」
「う、ううん。大丈夫だけど……」
「さすがに階段じゃあ狭くて危ないからね。ここぞと言うところでやってみました」
「びっくりした……」

真奈美ちゃんの息遣いがすぐ傍に。
僕がやったのはいわゆる“お姫様抱っこ”っていうもの。
男たるもの、好きな女の子を抱き上げるくらいの力は……なんてね。
パジャマ越しに感じるのは、真奈美ちゃんの暖かさと柔らかさ。
……ああ、そう言えば遊びナシで抱きしめたのってこれがハジメテかも。

「お、重く……ないかな?」
「ううん。真奈美ちゃん軽いから全然平気」
「誰も見てないけど、やっぱり、恥ずかしいな」
「僕も、ちょっとだけ」

改めてしっかりと抱きしめて、今度こそ部屋へと向かう。
久しぶりに入った真奈美ちゃんの部屋。
女の子らしい感じと言えば伝わるかな?
ベットの枕周りにはいくつかぬいぐるみが置かれていた。
そっとベットに下ろしてあげて、松葉杖を机脇に立てかける。
僕はどこに座ろうかなって思ったけど、なんだかじっとこっちを見られている所を見ると、やっぱりあそこしかないよね。
小さな声でおじゃましますと言いながら、ベットのふち……真奈美ちゃんの隣に腰掛けた。
ギシリ…とベットが音を立てる。

「……一ヶ月だって」
「え?」
「足、全治一ヶ月。夏休み、終わっちゃうね」

ギプスでがっちりと固められている足をふらふら揺らしながら、そしてその足をじっと見つめていた。
真奈美ちゃんが事故に遭ったというのをハッキリと形に残すもの。
これが取れて自由に歩く事ができる頃には、季節が一つ進んでいる。
夏から秋へ。本格的な受験シーズンへと時は進む。
もちろん今だって勉強はする。だけど最初で最後の……初めて恋人同士になったって言う夏は過ぎてしまう。
頭によぎったのは、近くの海に遊びに行ったりお祭りに行ったりのイベントたち。

「……トモちゃんと遊びたかったな」
「出かけるのはちょっと難しいけど、遊べないわけじゃないからね。こうして家で遊ぶのもいいかもよ?」
「うん、分かってるけど……気持ちの問題かなぁ」
「また来年、僕も真奈美ちゃんも受験から開放されたら目いっぱい遊ぼう。今はそのための、充電」
「来年こそは、ね?」
「うん。来年こそは」

そっと頭を撫でてあげる。
くすぐったそうに身をよじった真奈美ちゃんが、寄り添うように身体を預けてきた。

「やっぱり、トモちゃんにくっついてると落ち着くなあ」
「そ、そうなの?」
「うん。小さいときからずっと」

どうりで、何かと抱きついてくる事が多かったっけ。
あの時と変わらない、だけど変わってる所はずいぶんと変わってる。
たとえば……

ぎゅっ。

「………………」

女の子特有の柔らかさに、更に拍車のかかった全く別の、それ。
どんなにくっついていても自分は自分だとハッキリ自己主張をする“それ”。
なんと言うか、大きくなりましたね。いろんな意味で。
パジャマと半そでのTシャツだと、隔てるものは限りなく少ないもの。
すっと腕を動かそうとすると、感触と言うか肉感というか。そんなのを感じた。
うう、ちょっと前までは特に意識してなかったのに。
関係が変わるとこうも違うものなのかな。

「ね、トモちゃん」
「うん?」
「もうちょっとだけ、撫でてほしいな……だめ?」

真奈美ちゃんの上目遣いに、思わず生唾を飲み込む。
返事はもちろん決まってる。だってそんな頼まれ方をしたら断れるわけないじゃない。
もっとも、真奈美ちゃんの頼みなら二つ返事でOKだけどね。
言葉で返す代わりに、そっと頭を撫でてあげる。
艶のある黒髪はとてもさらりとしてる。
撫でてるだけで、こっちまで嬉しくなるような。
遊びに行くのは難しいかもしれないけど、やっぱりこういうのも悪くない。
そんな夏のある日だった。


・風の吹くとき まだ続くよ・



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